日本人は、国際的にみても知的水準(Intelligence Quotient:知能指数)が高いとされ、優秀であると指摘されることがあり、あるいは偏差値(Deviation Value)の高い学歴を持つ日本人は周囲から賢いと思われる傾向があります。
しかし、実際、日本人の知的水準はそれほどたいしたものでもありませんし、偏差値と聡明であるかどうかは必ずしも比例的な相関関係がないことを法律実務に携わっていてしばしば思わされることがあります。この点は、別の機会に深く掘り下げるとして、法律実務において往々にして感ずるのが、日本語を読めない日本人がそれなりにいるということです。英語等の外国語ではありません、日本語です。これは意外ですがとても深刻なことです。
テレビやマンガ、インターネットのYouTube等の視覚映像に触れすぎていることもありますし、SNSでも短文の表現しかないため(視覚映像でもTikTok等の短時間のものが若い世代を中心に好まれる傾向があるようです。)、ある程度まとまった日本語の文書を読めない、その文意を理解できない人が増加しているように思われます。日本語の文章が読めず、的確に理解できないわけですから、的確なある程度まとまった文書を作成することもできません。日本語の読解力や表現力に欠ける日本人が増え、コミュニケーションが適切にできない人が増加しており、これらがトラブルの原因となっている場合が散見されます。
契約トラブルの一つとして、契約書を読まない(面倒くさくて読まない。これは論外ですが…)だけでなく、読めない(記載されている日本語の意味が理解できない。)人が多くいて、その理解に当事者間で食い違いが生ずるため後日、トラブルになることがあるのです。これは日本語で記載された文章の読解力の問題で、国語の問題なのですが、漢字を読めない(この場合は、知らないだけですから覚えれば済むだけのことです。)だけでなく、比較的、明快な文章でも、文章の意味が分からない(この場合は深刻で、ある程度、時間をかけた理解力向上のためのトレーニングが必要です。)という方が契約のトラブルにおいて結構、散見されるということです。この点は、契約書の理解だけでなく、製品の取扱説明書の理解や広告表示の理解等でも見られる現象です。契約書や取扱説明書の起案者、広告の作成者がこの記載や表示で理解していただけると考えても驚くべきことですが記載や表示の意味を理解できない人がそれなりに存在するということなのです。理解できない人が多いために文書を短くしたり、視覚映像を活用したり工夫されるのですが、これは、結局は、文書の理解力が劣化していることの表れであり、日本人の知的水準の劣化を承認するものでそこまでする必要があるかは一考を要します。「悪貨は良貨を駆逐する」「腐った蜜柑(林檎)」ではありませんが、理解力の拙劣な人に合わせて基準を下げれば全体の基準は下がります。近年は、理解力の乏しい消費者に基準を合わせる傾向も認められますが、これを承認すると社会や国家の質的水準は低下し(社会や国家の質的水準は、詰まるところ、その構成員である地域住民や国民の質的水準、つまり、知的レベルや民度に左右されるものだからです。)、漸次、斜陽社会、斜陽国家化を促進することになるでしょう。
文章の理解力の低下は、契約の解釈についてみれば、契約書の記載文言について共通の認識が形成されず、その理解に当事者間で齟齬が生じ易くなり、契約を巡る不幸なトラブルを誘発し易い素地となります。テレビやマンガ、YouTubeの見過ぎ、あるいはゲームのやり過ぎはやはり禁物で、思考力や理解力を深めるには、「眼光紙背に徹す」ではありませんが、良書を熟読し、思索する等、文書に触れる習慣が大切で、頭脳の活性化にもつながりますので、昨今流行りの稚拙あるいは悪質な詐欺被害対策にもつながるでしょう。身体と脳みそは、やはり日々、自身で、鍛えることが一番ですね。